田代等甫筆 細川幽斎賛 江戸時代前期
絹本着色 1幅 97.7×50.5



近世細川家の初代藤孝(1534〜1610)は、天正10年(1582)本能寺の変に際して、明智光秀からの誘いを拒絶して剃髪し、幽斎玄旨と号した。家督を嫡子忠興に譲り、丹後の田辺城に隠居した後も、豊臣秀吉、徳川家康の有力な側近として仕える一方、学術芸能に秀で、特に歌道に精通していたため、古今和歌集の奥義を伝授されたことで知られる。  
本図の画面上部には、幽斎が詠んだ和歌(「めてきつる花も紅葉も月雪もかすみに消る春の明ほの」他2首)を自書した色紙が貼られており、団扇を手にしてくつろぐ姿勢は、歌聖柿本人麿像を連想させる。  
幽斎の三回忌に夫人の光寿院が田代等甫に命じて制作させ、息子の忠興が幽斎の色紙を選んだという。(『綿考輯録』)

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